Super Contents Series > Part6 : Engelbert Humperdinck
エンゲルベルト・フンパーディンク

Engelbert Humperdinck

35年に及ぶキャリアの中で、エンゲルベルトは1億3千万枚以上のレコードを売り上げ、64枚がゴールドディスク、24枚がプラチナアルバムに認定され、4つのグラミー賞、1つのゴールデン・グローブ賞受賞、ハリウッドの「Walk of fame(名声の歩道)」の星型プレートに名を刻まれている。
女王、大統領、国家元首たくさんの要人の前で演奏した。
ロマンティックなバラードから映画の主題歌、ディスコ、ロック、ゴスペルまで、何でも歌ってしまう彼の独特の声は、世界中の何百万ものファンを魅了してきた。しかし、声だけではなく、愛すべきユーモアのセンスを持ち、いつも自虐的なジョークを言う、彼の人間性も魅力的である。

1936年5月2日、本名アーノルド・ジョージ・ドーシーは、父の駐屯先であるインドのマドラスで生まれた。
10人兄弟の大家族の間で、音楽好きな少年として育った。一家がイギリスに移った後、音楽の勉強を始めサックスを吹き始める。

17歳の時、別のヴォーカルの才能を活かして歌のコンテストに出場。優勝してショービジネスの世界に入る。
この時、彼は世界一上手なジェリー・ルイスの物まねを披露したので彼のファンから“ジェリー・ドーシー”と呼ばれるようになり、それがそのまま彼の芸名になった。
1959年、シングル「クレージーベル/ミスター・ミュージック・マン」をデッカレコードからリリース。
しかし不運な事に結核を患い、6ヶ月の活動停止を余儀なくされ、彼の前途有望な音楽人生は、永遠に葬り去られるところだった。
健康を回復したジェリー・ドーシーは、彼の古い、傷ついたイメージを払拭する必要があると考えていた。

そんな時、元マネージャーの提案から「ヘンゼルとグレーテル」を書いたドイツの大作曲家“エンゲルベルト・フンパーディンク”の名前を取り、ジェリー・ドーシーは、力強いダイナミックなパフォーマーとして、やがて伝説となるエンゲルベルト・フンパーディンクとして生まれ変わったのだった。
エンゲルベルトは、60年代の音楽シーンに、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、トム・ジョーンズらと共に登場した。
彼はあっという間に世界中のアイコンとなり熱狂的な騒ぎとなった。
チャートに入った最初のシングルは〈リリース・ミー〉で、56週チャート・インし続けたことで、ギネス・ブックに載っている。この曲は11カ国で1位となった。イギリスの全国で放送される、ジョン・スミス・ビールのコマーシャルで使用されたため、この曲はまた再リリースされている。
それから数十年、エンゲルベルトは、イギリス、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、ベルギー、カナダ、東南アジアの満員の観客のため、世界中をツアーで回った。
この生きる伝説の人生は、近年まったくスピードを落としていない。2004年エンゲルベルトは、最初の自伝を出版し、ワールド・ツアーを開始したと同時に、最新アルバム『レット・ゼア・ビー・ラヴ』のレコーディングを行ったのだ。
エンゲルベルトの音楽は、時を超え、彼の甘いメロウな声は今でも人々に響き続けている。
私たちを夢中にし元気にし、抱擁し高揚させてくれ感情を刺激してくれる。これらの要素は、間違いなく彼の長年の成功の真髄なのである。

常に、トム・ジョーンズと比べられるエンゲルベルトだが、トムがワイルドでエネルギッシュな唱法で、女性の人気をつかんでいるのに対し、エンゲルベルトはよりソフトに聴衆を包み込み、もって生まれた才能、並外れた歌声?ベルベットヴォイス?、そしてパフォーマンスに女性達は惹かれている。
現に、エンゲルベルトのコンサートチケットは、ここ30数年にわたって完売を誇っているうえ、彼のファンクラブは世界最大規模、約800万人の女性会員を魅了し続けている。
時を越えて今もなお響く魅惑のベルベット・ヴォイス…多くの女性に愛され続けてきてエンターテイメントの本場アメリカでは信じられないような人気ぶりを誇る。

Engelbert Humperdinck
Live in Japan 2005
2005/6/29 東京国際フォーラム ホールC