“Mr.ダイナマイト”魂を震わせる神のシャウト!
James Brownデビューから50年間の軌跡
「最高のソウル・ブラザー」、「ソウル界のゴッドファーザー」、「ミスター・ダイナマイト」ジェームス・ブラウン以外にシーンにこれほど大きな影響を与えてきたソウル・パフォーマーはいないだろう。
1956年「プリーズ・プリーズ・プリーズ」でデビューして以来、ジェームス・ブラウンが米ビルボード誌のR&Bチャートに送り込んだ曲は110曲以上にものぼり、この記録は2位以下を圧倒的に突き放す大記録である。そしてレコードの記録だけでなく「ザ・ハーデスト・ワーキング・マン・イン・ショービジネス」という異名通りデビュー以来50年間ほとんど休むことなく活動をし、コンサートを行えば各地で軒並みソールドアウト。常にトップの座に君臨し続けていることが、彼が「超スーパースター」といわれる所以であった。元祖セレブレティとして、ソウル界のゴッドファーザーとして、多くのアーティストから尊敬を集めたJBは、後に続く新しいアーティストや、異なるジャンルのアーティストとのコラボレーションにも大変積極的に取り組んでいた。
2003年、BET Awardsの特別功労賞を受賞した際のパフォーマンスには、マイケル・ジャクソンとともにステップを踏み、会場を湧かしたことも記憶に新しい。2004年も、ブラック・アイド・ピーズの新譜にゲスト参加し第47回グラミー賞授賞式にてアッシャーと競演、授賞式の終盤は大変な盛り上がりとなった。
“ジェームス・ブラウン”がジェームス・ブラウンと言われる所以、それはまさに、ライブパフォーマンスにあった!―――そのパワフルなステージングは、バックバンド、コーラス、そして彼を紹介する司会役ダニー・レイの名セリフまで完璧に計算し尽くされた桁外れに完成度の高い「ソウル・ショー」であった。それはエンターテインメントの頂点を究めていると同時に、理想的な完成型であった。マイクの使い方、唯一無比のダンス・ステップ、バックバンドとの連係、そして独創的なショーの構成は、マイケル・ジャクソン、プリンスといった超大物アーティストをはじめ、現在のヒットチャートに名を連ねる、R&B、ヒップホップ、ロック/ポップスの数多くのアーティストに大きな影響を与えた。2003年の来日公演の際、日本武道館で魅せた鮮やかなステップは、のべ2万人もの観客を歓喜と興奮の渦で圧倒させた。
JBが歩んできたキャリアは死去した年2006年でちょうど50周年を迎えた。50年という年月は、そのままブラック・ミュージック発展の歴史である。1956年のデビュー以来、ほとんど休む事なく、ステージに立ち続けてきたJB。彼にとって50年という年月は単なる通過点に過ぎなかったのかも知れない・・・。
JBは2006年12月24日、歯科医を訪れそこで肺炎の症状が判明し、入院。翌12月25日の午前1時45分、ツアー予定を残したまま死去。73歳であった。代理人によると死因はうっ血性の心不全であった。その死去はCNNやBBCなど世界中のメディアでトップニュースとして報じられた。もちろんここ日本でもその突然の死に多くのファンが悲しみにくれた。12月30日にオーガスタで行われた葬儀には約8500人のファンやマイケル・ジャクソン、M.C.ハマーなど友人、関係者が集まりJBの音楽界に残した業績、人生を讃え最後のお別れをした。
2006年来日時、70歳を超えても一向に衰える気配を見せなかったJB。そのパワーとオーラは、観る者全てを包み込み、至福のファンキー・ソウル・ショウへと導いてくれた。
今までも、そしてこれからもソウルの帝王の座を守り続けるであろう。ありがとうJB!