American Greatest Hit Series > Part4 : Pat Boone
『パット・ブーン』

誰もが甘美なバラードに心溶かされ、銀幕の彼に恋をした。
あのパット・ブーンが贈る最高のクリスマス・プレゼント
聖なる夜はタイム・トラベルを・・・

Pat Boone(パット・ブーン)

50年代にはあのエルヴィス・プレスリーのライバルと呼ばれ、人気を二分。
数々の映画で主演する一方、ビルボードNo.1ヒットを6曲、ベスト10ヒットは18曲、トップ40ヒットにいたっては38曲を持つほどのオールディーズ界の押しも押されぬビッグ・スターとして輝かしい功績を記録しています。

暖かみ溢れる歌声でクリスマスに贈るスペシャル・プレゼント!「砂に書いたラブレター」、「アイル・ビー・ホーム」、「ホワイト・クリスマス」等で綴られる素敵な一夜・・・忘れられない夜の想い出が訪れます。

パット・ブーン バイオグラフィー【栄光の奇跡】

1934年、フロリダ州ジャクソンビルで本名チャールズ・ユージン・ブーンは生まれる。2歳で家族と共にテネシー州に移り住み、少年時代をナシュビルで過ごす。平凡に高校教師を夢見ていた彼に転機が訪れたのは高校時代からの恋人、シャーリーと結婚した翌年1954年ブーンが20歳、North Texas State大学在学中の話である。当時注目されていたスカウトショー“Arthur Godfrey's Talent Scouts”と“Ted Mark's Amateur Hour”の両ショーでグランプリを獲得しレコーディング契約にこぎ付ける。リパブリックレコードからデビューした後、ドットレーベルとサインした彼はその下で1955年から1962年までの間に数々のヒットを飛ばす。初のトップ40ヒットはチャームスの「二つの心」をカバーした曲で最高16位を記録。アラン・リードをはじめとしたラジオのディスクジョッキー達がまだ黒人音楽をかけるのをためらっていた当時、多くの白人歌手がR&B曲のカバーバージョンを出した。その中でもパット・ブーンは容姿、実力共に際立っており瞬く間に人気を沸騰させる。1955年にカバーしたファッツドミノの「悪いのはあなた」はヒットチャートの第1位を飾る。その後もR&B曲のカバーバージョンを好調にリリースし、チャートの常連となった。エル・ドラドスの“At my front door”、リトル・リチャードの“Tutti Frutti”、「のっぽのサリー」、ファイブキーズの“Gee Whittakers”、アイボリー・ジョー・ハンターの“I almost lost my mind”やジョー・ターナーの“Chains of love”はどれもブーンがカバーしたことによって注目を浴びた。

1957年には「砂に書いたラブレター」が34週間連続チャートイン(その内7週間連続1位)の空前のヒットとなり、お茶の間の人気を不動のものにした彼を、映画界もテレビ界も放ってはおかなかった。仕事のためにNYに移った彼はコロンビア大学に編入し、同大学在学中に20世紀フォックスと契約を結び、15本の映画に出演する。中でも「バーナディーン」、「四月の恋」と「恋愛候補生」は出演のほかに同名の曲もヒットさせ、話題となる。また、“The Pat Boone/ChevyShowroom”と題されたテレビ番組は1957年から1960年の間ABCで放送され、毎週多くのファンを喜ばせた。翌年1961年には「涙のムーディーリバー」をヒットチャート1位にさせる。歌、テレビ、映画と多忙を極めていたにもかかわらず、1958年に優秀な成績でコロンビア大学を卒業している。

60年代以降もパット・ブーンの人気が衰えず、引き続きカリスマ的な存在であったのは、芸能界に留まらない彼のタレント性と人柄にある。この時期からブーンは特に福祉活動、キリスト教関連活動に専念、コロンビア大学で英文及びスピーチを専攻した彼は、時にはスポークスマンとして、またある時は作詞家、作家等、多方面でその実力を発揮する。

1981年以降は毎年“Easter Seal Society”(イースター記念スタンプ協会)のテレソン(慈善事業などのテレビ長時間番組)の会長兼スポークスマンとして募金を行なっている。1979年には義息ダン・オニールとマーシーコープスを設立し国際的飢餓基金にも貢献。スポーツも何なりとこなす彼は、ゴルフの腕も玄人が顔負けする位であり、毎年チャリティートーナメントを開催している。

熱心なキリスト教徒の彼と妻のシャーリーはコミュニティーに対する奉仕活動も欠かさない。その活動は、毎年5月の第一木曜に開催される「祈りの日」の福音伝導の務め、1983年より自宅からワールドワイドに流されているキリスト教ラジオ番組“The Pat Boone Show”の放送や関連図書の出版に見られる。

作家としても幾冊かの図書を出しており、“Twixt Twelve and Twenty”(12歳と20歳の狭間で)や愛妻シャーリーと共に彼らの生活を綴った“The Hpneymoon is over”と“Together; 25years with the Boone family”など約10作品を数える。

作詞家としても名高く、1992年のロサンゼルス暴動直後にロドニー・キングと“Can't we all get along”を書き下ろし、話題を呼ぶ。中でも“The theme from Exodus”(出エジプト記のテーマ)と“The Anthem of the Unborn child”は多くの人々に感銘を与える。特に“The theme from Exodus”はブーンとイスラエルの結び付きを深めることとなり1979年にはイスラム文化勲章を受賞、その後も言わば大使的役割を果たしてきた。

ブーンの才能は彼の4人の子供達にも受け継がれており、ブーンシスターズとして活躍。中でも三女のデヴィーは1977年にグラミー賞を獲得している。ハリウッドきってのおしどり夫婦として有名なパットとシャーリーは現在15人の孫に恵まれている。

90年代に突入後も彼はスローダウンすることなく活動。1994年にはミュージカル“The Will Rogers Follies”に主演、翌年95年には芸能生活40周年を記念してオーストラリア、ニュージーランド、英国、スコットランド等、数カ国でツアーをし、大成功を収める。

全公演概要 1999年
12月 5日 東京 東京厚生年金会館
12月 7日 大阪 フェスティバルホール
12月 9日 福岡 福岡サンパレス
12月10日 名古屋 愛知県芸術劇場 大ホール
12月11日 東京 Bunkamuraオーチャードホール
12月15日 静岡 静岡市民文化会館 大ホール
12月17日 東京 ゆうぽうと簡易保険ホール