Jazz Giant Series > Part3 : Sonny Rollins
Sonny Rollins
『ソニー・ロリンズ』

50年以上に渡ってジャズシーンの最前線に立ち続ける
テナー・タイタン!!

 C・ホーキンス、D・ガレスピー、C・パーカー、M・ディヴィス、T・モンク、B・パウエル、C・ブラウン、A・ブレイキー、M・ローチ、さらには J・コルトレーン・・・と、ロリンズが共演したプレイヤーを列挙しただけで、彼がジャズのすさまじい創造と進化の現場を生き抜いてきたことが、くっきりと分かるというものである。しばしば『天衣無縫』と評される彼の演奏は、『乗りに乗った時は、もう誰も手が付けられない』といった性質のものだ。マイルス・バンドのメンバーだったころ、彼は長時間に及ぶソロに突入することがよくあったが、マイルスは半ば苦笑いした状態でそれを聴いていたそうだ。コルトレーンは、同じく長尺のソロを吹いて、マイルスの強烈なボディブローを食ったこともあるというのに・・・。「ソニーじゃ、仕方ないか」なのである。
 そう、ロリンズの真価はライブでこそ発揮される。2005年11月、彼は日本で6回のステージに登る。なんと心踊ることか。しかし惜しいかな、これがロリンズの最後のステージになるという。長年、彼を支えてきたルシール夫人の死去に伴い、ツアー演奏活動にピリオドを打つ決意をしたのである。日本でロリンズの生の音を聴けることは、もうないのだ。
 だから、全身を耳にして、その豪放なブローを浴びようでないか。
 ありがとう、サキソフォン・コロッサス!!

ソニー・ロリンズ プロフィール

 1930年9月7日ニューヨーク生まれ。11歳よりアルト・サックスを始めるが、16歳の時にテナー・サックスに転向する。
 ハイスクール卒業とともにプロとしてスタートする。その後マイルス・デイビスグループに参加する。その後プレスティッジと正式契約リーダーアルバムを録音する。これが1953年のMJQとの共演とカップリングされ『SONNY ROLLINS WITH MJQ』と題される。1954年有名な『BAGS GROOVE』セッション。ロリンズはオリジナル3曲収録し作曲面での才能も開花する。
 1956年6月”モダン・ジャズの金字塔”と評される『サキソフォン・コロッサス』が録音される。1957年『WAY OUT WEST』『A NIGHT AT THE VILLAGE VANGUARD』では究極のアドリブによる奔放なメロディラインにより、この頃には押しも押されぬジャズ・テナーの第一人者として認められる。
 1960年代の始めまでロリンズはサックスの練習・作曲・編曲の勉強のため公の前から姿を隠していたが1961年にジャズシーンにカムバックし1962年『橋』を発表する。1965年インパルスに移籍『アルフィー』では映画音楽でヒット・アルバムとなる。その後、豪快な演奏とは裏腹に自身には厳しいため1972年まで精神修行の為に演奏活動を休止する。
 1972年「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのコンサートで完全復活する。6年ぶりのアルバム『ネクスト・アムバム』を発表し70年代は1年に1作のアルバムを発表しフラメンコ・ギターリストと共演など精力的な活動を始める。
 80年代には多様な活動を始めるがローリング・ストーンズとの共演1985年の近代美術館でのソロコンサートがそれだろう。日本では幾度も公演を行っているが1981年・83年には国内最大のジャズ・フェスティバル「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」での来日が最も印象的である。
 1990年代から2000年に入り1年から2年周期にアルバムを発表しツアーでも多くのファンを魅了しジャズ専門誌「ダウンビート」主催の国際ジャズ批評家投票では2001年度・2002年度とテナー・サックスのナンバーワンに選出される。2003年には第1回「ニューヨーク・ナイトライフ賞」の「ジャズの生きた伝説」という特別賞を受賞する。

■名古屋公演 2005年10月31日(月)
愛知県芸術劇場コンサートホール

■大阪公演 2005年11月 2日(水)
大阪厚生年金会館 大ホール

■福岡公演 2005年11月 4日(金)
Zepp Fukuoka

■東京公演 2005年11月 6日(日)
東京国際フォーラム ホール A

■札幌公演 2005年11月 8日(火)
北海道厚生年金会館

■東京公演(追加) 2005年11月 11日(金)
東京国際フォーラム ホール C